418例リスト問題以前の大問題~再評価すり抜け
1 「再評価すり抜け」問題
今、毎日のように、418例リスト問題が報道されています。人の命を命と思わず、あえて肝炎感染者リストを隠蔽し続けた厚生省・企業の行為は、絶対に許されないものです。
しかしそもそも、なぜフィブリノゲン製剤によるC型肝炎感染という薬害が生じたのでしょうか。もっと前に、この薬害を防止することはできなかったのでしょうか。
いえ、薬害を防止する機会はあったのです。現在、薬害C型肝炎訴訟の原告になっている患者のほとんどは、この機会の後に感染した方です。つまり、この機会をとらまえて薬害防止策が実行されていれば、被害者のほとんどは、C型肝炎に感染せずに済んだのです。それなのにその機会は、厚生省・企業の癒着のために失われてしまいました。
私たちは、この厚生省・企業の行為を、絶対に許すことはできません。
418例リスト問題以前の大問題。私たちが「
再評価すり抜け」と呼んでいる問題が、それです。
2 フィブリノゲン製剤の再評価
医薬品には、再評価という制度があります。
既に承認を受けて流通している薬について、承認後の医学、薬学の進歩に応じ、その有効性や安全性をその都度検証しよう、その結果問題があれば承認を取り消そう、という制度です。
フィブリノゲン製剤については、1985年に再評価指定がなされ、手続が開始されました。その結果、後天性の疾患については、フィブリノゲン製剤の有効性・有用性は確認できないとされ、適応が削除されました。現在、フィブリノゲン製剤の適応は、先天的にフィブリノゲンが不足している疾患のみに限られています。
原告を始めとして、フィブリノゲン製剤を投与されてC型肝炎に感染したほとんどの患者は、後天性の疾患に対して投与された方ですから、もっと早く再評価が行われていれば、ほとんどの被害者には投与されずに済んだわけです。
では、もっと早く再評価を行うことはできなかったのでしょうか。
3 もっと以前から行われていた再評価
実は、フィブリノゲン製剤は、もっと早く再評価の対象となるべき医薬品だったのです。
先ほど、フィブリノゲン製剤の再評価手続は1985年に開始された、と書きました。これは、いわゆる「第2次再評価」と言われる制度です。この前に、第1次の再評価が実施されています。
第1次再評価は、1967年9月以前に承認された全ての医薬品について、順次実施されました。最初の再評価指定が1971年、最後の再評価指定が1978年ですから、7年間かけて順次再評価指定が行われていったわけです。
フィブリノゲン製剤は、1967年以前に承認された医薬品です。当然この第1次再評価の対象であり、どんなに遅くとも、最後の再評価指定が行われた1978年までには、指定されなければなりませんでした。ところが、フィブリノゲン製剤は結局再評価指定されず、第1次再評価からすり抜けてしまったのです。
4 フィブリノゲン製剤の「再評価すり抜け」
この理由につき、国はこのように主張します。
「名前が変わったからだ」。
どういうことでしょうか? フィブリノゲン製剤の商品名は、もともと、
「フィブリ
ノーゲン-ミドリ」
でした。しかしミドリ十字は、1976年、商品名を
「フィブリ
ノゲン-ミドリ」
に変更しました。これによりフィブリノゲン製剤は、新しい承認を受けたことになった、つまり、1967年10月以降に承認を受けた医薬品となったから、第1次再評価の対象ではなくなった、と言うのです。この国の主張に、合理性はあるのでしょうか。
そもそも、なぜ1967年以前の全医薬品が第1次再評価の対象とされたのでしょうか。この点、当時国は、次のように説明しています。「1967年から薬の製造承認について厳格な基準が明示された。それ以前に承認を受けた薬についても、これと同じ厳格な基準に基づいて洗い直す必要がある」、と。
すなわち、第1次再評価とは、1967年以前に承認を受けた医薬品はその有効性・安全性に問題がある可能性があるから全て厳格な基準で審査し直す、その厳格な審査をパスできなかった医薬品については承認を取り消す、といういわば承認審査のやり直しの意味を持っていたのです。
そうであれば、国の主張が不合理であることは明らかです。フィブリノゲン製剤は、名前から「ー(棒)」が取れただけで、中身は以前と何も変わりません。「厳しい審査で洗い直す」という制度目的からして、名前の変更が免罪符にならないことは、誰にだって分かることです。国は、この誰にでも分かる不合理極まりない主張を、訴訟の場で、薬害の被害者である原告たちの前で、平然と行ってきたのです。
5 すり抜けによる被害の拡大
もしすり抜けがなされず、フィブリノゲン製剤が第1次再評価手続の中で再評価されていたら、どうなったでしょうか。
先に見たとおり、1985年から始まる現実の再評価手続において、フィブリノゲン製剤は、後天性疾患について有効性・有用性が確認できないとされ、効能効果から後天性疾患が削除されました。この現実の第2次再評価における判定基準と、1971年から始まった第1次再評価における判定基準は、同じものです。
また、1978年には、アメリカで、FDAがフィブリノゲン製剤の承認を取り消しました。このような極めて重要な情報は、当然日本にも入っていたのですから、これらを前提に考えれば、もし第1次再評価をすり抜けていなければ、1980年代以降、日本でもフィブリノゲン製剤の使用は大幅に制限され、被害の拡大を防止できたはずなのです。
この点、昨年8月に下された薬害C型肝炎訴訟福岡地裁判決も、この時点でフィブリノゲン製剤の見直しが行われていれば、適応が制限されるか、あるいは適切な警告がなされるなどされていたはずなのにそれを怠ったとして、国・企業の責任を認めています。
6 このように、フィブリノゲン製剤を第1次再評価からすり抜けさせ、それによって生命被害を拡大させた国の行為は、あまりにもひどいものと言わざるを得ません。
しかしそもそも、一体なぜ、このような許されないことが起こったのでしょうか。私たちは、こんな大問題が、偶然に起こったとは考えていません(仮に偶然に起こったとしても、大失態であることには違いありませんが。)。この「再評価すり抜け」の背景には、国と製薬企業(ミドリ十字)の癒着があったと考えています。
これについては、また
次回。
(九州弁護団・石田)
※ 「ノゲン」「ノーゲン」問題については2007年10月31日朝日新聞夕刊で取り上げられています。