薬害肝炎は、血液製剤によるC型肝炎の感染被害です。肝炎患者の検査・治療・研究体制の充実を目指して活動しています。当ブログでは原告・弁護士たちから情報発信していきます。
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お知らせなど
このブログは、薬害肝炎東京弁護団の弁護士が管理しています。

● 東京弁護団は、関東甲信越、北海道、静岡の一部を主に担当しています。
 弁護団員には、群馬、神奈川、千葉、静岡、北海道の弁護士もおりますので、弁護団事務局までご相談下さい。

● 2008~09年度に厚生労働省で薬害肝炎に関する検討会・委員会が行われています。

厚生労働省HPの
 「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」
 「フィブリノゲン製剤投与後の418例の肝炎等発症患者の症状等に関する調査検討会」
の部分をご覧下さい。

● 2008(平成20)年1月11日、第168回国会にて薬害肝炎救済法案が成立し、同月15日、薬害肝炎全国原告団は、国と基本合意を結びました。
 また、2009(平成21年)11月30日に、肝炎対策基本法が成立しました。
 これまでのご支援、誠に有難うございました。

 今後は、基本法の趣旨を踏まえ、350万人の肝炎患者のための検査・治療・研究体制がより充実されるよう、活動していきます。

B型肝炎の方へ
 集団予防接種によるB型肝炎感染被害の疑いがある方は、当弁護団ではなく、B型肝炎訴訟弁護団にご相談下さい。
B型肝炎訴訟弁護団
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http://www.hbvq.info/

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みなさん、C型肝炎に関心を持ってください
僕は、1986年4月に生まれました。
現在は、関東の大学に通っており、この春から大学3年生です。

僕は、1922gという未熟児で生まれました。生まれてすぐに血を固める力が弱かったらしく、そのためクリスマシンが投与されたのですが、前の年の12月に加熱された製剤が出来ていたのに、僕には加熱されていない製剤が投与されていました。そのせいで、C型肝炎という病気に感染しました。

C型肝炎に感染していることを知ったのは、1996年9月のことです。
子ども病院から「HIVに感染しているかもしれないから検査をしてください」と親に連絡がきたのがきっかけでした。「エイズにかかっているかもしれないから、検査に行こう・・・」と両親に言われました。(あまりにも突然で、みんながショックを受けていて、ほんとに気持ちが沈んでいたのを今も覚えています。)
検査の結果が出、「HIVには、感染していませんでした。」医師から言われた時、家族みんなで喜びました!!

でも、その後に言われたのが、C型肝炎にかかっていると告げられたのです。しかし、HIVではなかったという事実が嬉しかったのと・・・理解するには難しいところもあり、その時は、肝臓が悪いのだということは分かりましたが、それ以上にどういう病気なのか詳しいことまでは分かりませんでした。

大学に入るころ、いま国・企業に対して戦っている裁判に参加することになりました。
両親がこの裁判を知り、僕にも意見を求めてきたので、「とりあえず名前だけ参加ってかたちね!」と何度も何度も確認して、裁判に参加することに同意しました。裁判は、僕にとって他人事であり、あまり意欲的に参加するつもりはありませんでした。

しかし、参加して初めて、自分がC型肝炎に感染することは避けられたことを知ると同時に、一緒に戦っている皆さん(原告・弁護士・支援してくださっている人)の活動が凄くて、触発されたのと、自分がどういう状況に置かれているのかが分かってきたのもあり、自分も動かないといけないと思うようになり、ビラを配ったり同年代の学生の前で被害を訴えました。
「僕がC型肝炎に感染してしまったことは避けられなかったことではない!国・企業の責任が認められて、しっかりと治療体制ができれば、僕にもC型肝炎じゃない生活が送れるかもしれない。僕達の裁判を応援してください。」

と訴えています。

僕は、不幸中の幸いか、まだC型肝炎による症状というのは出てないけど、自分が病気になって1番辛いことは、友達や親友に言えないこと・・・何度も伝えようと思っていても、いざ、言うとなると怖くなって口に出せなくなる。みんなを信頼してるし、病気なんか関係ない!と言ってくれる人達だと思っている。だけど、心のどこかで、伝えることによって、もしかしたら離れていったりするんじゃないかという気持ちがいつも邪魔をしてしまう。隠し事をしながら接しているという罪悪感があり辛い。

ただ、1人だけど・・・とても大切な人に去年、自分の病気のことを打ち明けることが出来た。伝えようと考え始めてから本人に伝えるまで、1年間かかったが、その人は病気のことを理解してくれて裁判も応援してくれている。ほんとに、ほんとに嬉しかった。これから、少しずつでもいいから自分のことを言えるようになりたい。


3月23日に東京判決が出ます。
僕が、投与されたクリスマシンは、いま裁判では負けている状況です。今回の判決でも負けると、きつい状況に追い込まれてしまいます。それだけは、どうあっても避けなければいけないので、みんな必死になって現在活動しています。

政治の力・メディアの影響力は大きく、その2つの力を動かすには、世論の関心の高まりが重要です。
みなさん、C型肝炎という病気について関心を持ってください。
全国には、350万人の患者がいるといわれています。もしかしたら、身近な人・大切な人が知らない間に病気になっているかもしれません。知らないところで苦しんでいるかもしれません。この病気は、決して他人事ではないんです。

今度の東京判決、肝炎患者全員が納得できる全面解決を勝ち取りたいです!!

どうか応援よろしくお願いします。

(九州原告19番)

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by kanen-relay | 2007-02-27 00:00 | 九州から
いよいよ3月23日東京判決が…
 今日であと1ヶ月(28日、4週間)後に、東京判決言渡がせまりました。

 思えば、弁護士である私にとっても、ここまでは長い歳月でした。
 私が血液製剤による病原性ウィルス感染被害のことを知ってから、今年でちょうど20年が経過します。

 1987年、きっかけは薬害エイズ事件でした。抗血友病治療薬として開発された第8・第9凝固因子製剤によって、後にAIDSと呼ばれる奇病に感染するという危険情報が、すでに82年頃から日本でも報道されていたのに、気づきませんでした。すでに安全な加熱製剤に切り替わったあとのこの時期(1987年)に、血友病患者の方々から聞かされて初めてその深刻さを知ったのです。

 第9因子製剤(コーナイン、PPSBニチヤク)が販売開始された1972年から、遅くもクリスマシンが販売開始された76年の間に肝炎対策がなされていれば、薬害エイズ事件は起こらなかったことも知ることになりました。薬害肝炎は薬害エイズのプロローグだったのです。

 私が問題意識を持ち始めた1987年から88年にかけて、フィブリノゲン製剤の集団感染事件も報道されていたのに、気づきませんでした。
 血友病患者たちの間で薬害エイズ事件が問題になった1982~85年に、第8・第9因子製剤以外の血液製剤についても安全対策が見直されていれば、フィブリノゲン製剤の集団感染事件は起きなかったのです。その意味で、薬害肝炎は薬害エイズのエピローグの役割まで果たさせられたのです。

 フィブリノゲン製剤の危険性が気がかりになったのは、1989年から始まった薬害エイズ訴訟の終盤である1995年ころでした。先天性フィブリノゲン欠乏症の患者の両親から、子どもたちへのHIV感染の心配を訴えられたことがきっかけでした。

 知らなかったことは、他にもありました。
 先天性凝固因子欠乏症の患者のために開発された血液製剤とくに第9因子製剤の適応症が拡大されて、後天性疾患といわれるものに使われていることも1995年ころに知ることになりました。いわゆる薬害エイズ第4ルートです。フィブリノゲン製剤の適応拡大に慎重になっていれば、第9因子製剤の適応拡大も安易に行われなかったと思います。

 2000年8月24日第1回薬害根絶デーの当日に、のちに薬害肝炎東京訴訟原告番号11番になる青年(1980年にクリスマシン投与でHCVに感染)と厚生省前で会って、96年薬害エイズ事件和解確認書締結以来ずっと気になっていた薬害肝炎の宿題を解決する必要に迫られたのです。

 そして2年の準備期間を経て、2002年10月、薬害肝炎訴訟が提起されました。その2年間の準備学習の中でも、いろいろ知らされることになりました。
 血友病患者たちが専門医から“血液製剤で肝炎に感染しても恐くない”と教えられてきたことが、ウソだったわけです。肝炎は、すでに60年代から血清肝炎、輸血後肝炎(72年以降は非A非B肝炎)と呼ばれて、恐い病気だったのです。
 弁護士は医療には素人とはいえ、私は医療被害の救済を専門にしてきました。それでもやはり素人の域は出ないのだと思い知らされてきた20年間でもあります。

 東京HIV訴訟弁護団は10年前から薬害オンブズパースン会議を組織して、薬害防止活動に取り組んでいます。その活動を介しても、知らないことをいっぱい知ることになりました。
 いくつもの医薬品が現在進行形で、専門医と呼ばれる人々によって“よい薬”とされて販売されています。しかし、そこにも新たな医薬品被害が発生しています。有効性・安全性に疑問のある薬が販売承認されて被害を生む構造は、フィブリノゲン製剤(1964年)、第9因子製剤(1972年~)以降、現在も続いているのです。

 今度こそ、薬害肝炎の全面解決をてこに、“断ち切ろう薬害の連鎖”。“他人事(ひとごと)ではない”東京判決がその礎石になることを強く期待しています。

(弁護団代表・鈴木利廣)
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by kanen-relay | 2007-02-23 00:00 | 東京から
7.フィブリノゲン製剤の安全対策はどうだったの?
 フィブリノゲン製剤は、5000人分~2万人もの売血者から採取した血漿を混ぜた「プール血漿」を原料として製造されていました。
 プール血漿は、一人分でも肝炎ウイルスに汚染された血漿が混じると、プール全体が肝炎ウイルスに汚染されてしまうため、肝炎感染の危険性が非常に高いものです。
 アメリカでは、1968年に米国医学会専門委員会がプール血漿の使用禁止を勧告しています。

 旧ミドリ十字は、原料プール血漿から肝炎ウイルスを除去したり、感染力を失わせる処理(不活化処理)として、
(1)1964年から1965年11月頃までは「紫外線照射」、
(2)1965年11月頃から1985年8月までは「ベータプロピオラクトン(BPL)と紫外線照射」、
(3)1985年8月から1987年2月までは「抗HBsグロブリンと紫外線照射」、
(4)1987年4月から1994年6月までは「60度96時間の乾燥加熱」
を行ったと主張しています。

 しかし、いずれの処理も効果が不十分で、どの製剤でも単独投与で肝炎感染者が出ています。特に(3)の製剤は、1987年の青森県での妊婦8名の肝炎集団感染の原因となり、(4)の製剤でも肝炎が多発したため、1988年6月に緊急安全性情報が配布されて自主回収となりました。

 大阪地裁判決は、(1)と(3)の製剤は全てに、(4)の製剤はかなり高率に、感染力あるウイルスが混入し、肝炎感染の危険性が高かったと判示しました。(2)の製剤については、当時の感染報告が少数だったことなどから、感染力あるウイルスが混入した製剤と不活化された製剤に分かれていたと判示しました。

 福岡地裁判決は、(2)の製剤についても、BPLの濃度が低く、感染報告が少数というのは調査が不十分だったためで信用できないとして、ウイルス不活化効果があったとは認めがたいと判示しました。

 原料プール血漿に肝炎感染の高度の危険性がある以上、完成した製剤に肝炎感染防止効果があるという科学的根拠がなければ、完成した製剤も肝炎感染の危険性が高いと考えるべきです。
 アメリカのFDAは、そのように安全性を厳格に考えてフィブリノゲン製剤の承認を取り消しました。日本では、国も製薬企業も、感染報告やFDAの承認取り消しなどの情報がありながら、安全性の確認を怠り続け、フィブリノゲン製剤の製造販売を長年継続したため、1980年以降だけでも推計1万人以上という未曾有の肝炎感染被害を生んだのです。

(東京弁護団・伊藤)
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by kanen-relay | 2007-02-21 00:00 | 薬害肝炎ミニ講座
薬害肝炎仙台訴訟の期日お知らせのビラ配り
昨日2月18日、12時からビラ配りをしました。
2月26日にある本人尋問と、4月16日にある結審の告知です。

今日も明るく元気に!ご通行中の皆さまに声をかけながら、ビラ配りをしました。
「裏面に詳しいことが書いてあるので読んで下さい」と伝えてビラを渡すと、自転車に乗っていた小学生くらいの女の子二人が裏面を読んでくれて、嬉しかったです。
しかし、やはり受け取ってもらえない人がいるのも事実です。

もっと知ってもらえる人が増えるように、これからも配っていきます!

(薬害肝炎訴訟を支える仙台学生の会・佐藤はるか)


仙台訴訟の今後の期日は以下のとおりです。
仙台の皆さま、ぜひ傍聴にいらして下さい。
2007年2月26日13時30分~4時00分
  仙台地裁101号法廷
  追加提訴した最後の原告の本人尋問

2007年4月16日 結審

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by kanen-relay | 2007-02-19 00:00 | 仙台から
実名原告の地元で支援の輪が広がります
この週末には、実名原告の地元で支援の活動がありました。

【薬害肝炎 in 千葉】

千葉では、訴訟説明会を実施した後、薬害肝炎訴訟を支える会・千葉が発足しました。当日の模様は、東京新聞でも報道されました。千葉日報でも事前報道されました。

東京弁護団の石井弁護士からの報告。
2月17日、船橋商工会議所にて訴訟説明会を開催しました。当日、朝日新聞にも案内が載り、10名ほどの方が出席されました。 千葉県在住の原告番号28番さんと久野さんが訴訟に参加するに至った動機や経緯を話すと、出席者の方々は真剣な眼差しで耳を傾けていました。

訴訟説明会と同じ会場で、「薬害肝炎訴訟を支える会・千葉」の結成総会が開かれました。 久野さん、原告番号28番さんに加え、原告番号9番さん(やはり千葉県在住)も、体調が悪い中、かけつけました。

当日は、呼びかけに応じた医療関係者の方々、千葉肝臓友の会の方々など、約20名が参加され、選出された世話人から支える会の結成を宣言。今後の運動として、ハンカチメッセージ集めと判決前集会、判決報告集会への参加が呼びかけられました。

3月17日には、世話人らと原告らとの間で交流会を持つことになっています。

全体にアットホームな雰囲気で、「地元の支援者に原告らが支えられている」と実感できる結成総会でした。


そして、原告の久野郁子さんからのコメントです。
支える会終了後、参加された女性の方に声をかけられました。
「私は、カルテがなくて、弁護士さんにも相談しましたが原告になることが出来ませんでした。私の分まで頑張ってください。」と涙をためて話をしていただきました。こうして、原告になれるのは一部なのだなと改めて思い、重みも感じました。
少しずつですが、頑張って行きたいです。


【薬害肝炎 in 新潟】

東京弁護団の鮎京弁護士からの報告です。
2月17日、新潟で、民医連薬剤師部会の学習会がありました。薬剤師さんは30名ほど、原告の平井さんご夫婦、支援の会2名、弁護士は中西・鮎京でした。

弁護士説明のあと、平井さんが感染の経緯や生活状況などわかりやすく話され、支援の会ができて本当に嬉しい、と言うとき涙ぐんで声が詰まりました。薬剤師さんは皆熱心に聞かれ、「実際に投与した医師や、私達薬剤師の責任をどう思っておられますか」など質問されていました。

NHKと新潟日報が来てくれて、カメラを回していました。終わって、1時間近く、記者さん達から熱心な質問がありました。先日の街頭宣伝の報道を見て、平井さん宅に、原告になりたいと問い合わせがありましたと言ったら、記者さん達も嬉しそうでした。

今度の街頭宣伝はキーボードを出すそうです。それから、判決が出たら、また平井さんバンドでライブをやると言っていました。新潟に行くたびに、暖かい励ましの輪が広がっていくのを感じて元気をもらって帰ります。

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by kanen-relay | 2007-02-18 00:00 | 東京から
九州原告・福田衣里子さんを映画化
exiteニュースに薬害肝炎の記事が載りました。

<薬害C型肝炎>訴訟原告の女性を映画化 大阪芸大生が制作

薬害C型肝炎訴訟で、実名を公表した原告の中で最も若い福田衣里子(えりこ)さん(26)=長崎市=を追ったドキュメンタリー映画を大阪の大学生が制作した。20歳で感染を知り失意のどん底に突き落とされながら、「被害を訴えることが社会に役立つ」と裁判に参加して前向きに歩み始めた彼女の生き様を描いた作品で、3月に大阪で上映される。【江刺正嘉】

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by kanen-relay | 2007-02-17 23:00 | 九州から
6.米国FDAの承認取消って何?
アメリカの「血液及び血液製剤の再評価パネル」は、1975年から、フィブリノゲン製剤をはじめとする血液製剤について再評価(*)を始めました。

(*) 「再評価」とは、医薬品が製造承認され販売されるようになった後に、医薬品の有効性・危険性・有用性について、新たな判明した医学・薬学情報も含めて改めて再検討することです。

そして、再評価パネルは、複数回の会議を行い、フィブリノゲン製剤の有効性・危険性について検討した結果、1977年1月に
「肝炎感染の高度な潜在的危険性に加え、フィブリノゲン製剤が必要とされるかもしれないごくまれな場合に対しては、より安全な代替療法、すなわちクリオプレシピテート又は単一供血者由来の血漿が利用可能であることを考慮して」

フィブリノゲン製剤は回収されるべきであると、勧告しました。

この再評価パネルの勧告を受けて、アメリカのFDA(Food and Drug Administration=食品医薬品局)は、1977年12月7日、フィブリノゲン製剤の製造承認を取り消しました。この製造承認取消については、1978年1月6日付Federal Register (米国連邦広報)Vol.43,No4で公表されています。その内容は、以下のとおりです。

「この措置は、フィブリノゲン(ヒト)製剤の有効性に疑問が持たれること及び肝炎感染リスクのより低い他の製剤によって代替し得ることから、製造承認を受けた製造業者らの要請に応じてとられたものである。」

「フィブリノゲン製剤の投与の適応がある患者ではほとんどの場合、多種の異常が存在しているので、フィブリノゲン製剤の単独投与のみでは正常な血液凝固は得られない。このようなことから、フィブリノゲン(ヒト)製剤の臨床効果を評価することは困難であり、その使用が有効とされる適応症はほとんどない。」

「フィブリノゲン(ヒト)製剤は、多数の供血者のプール血漿から製造されている。フィブリノゲン(ヒト)製剤において、B型肝炎ウイルスを不活化させるための加熱処理は、製剤の効力に望ましくない影響を与えるであろう。このような理由から、フィブリノゲン(ヒト)製剤の投与は、単一単位の血漿に由来する製品よりもB型肝炎のリスクが高い。

 主治医によりフィブリノゲンの補充療法が必要であるとみなされるようなごくわずかの臨床例においては、単一単位の血漿から調整したクリオプレシピテート抗血友病因子(ヒト)やその他の製剤をフィブリノゲンの供給源として用いることができる。これにより、肝炎リスクが低下することになる。」


つまり、フィブリノゲン製剤の有効性には疑問があること、肝炎感染の危険性が高いこと、肝炎感染の危険性の低い他の代替製剤があることから、製造承認を取り消しました。

旧ミドリ十字は、1978年1月末には、このFederal Registerの記事を入手しており、社内で回覧していました。

また、国立予防衛生研究所の血液製剤部長であった安田純一(故人)も、1979年出版の「血液製剤」という書籍の中で、アメリカのFDAがフィブリノゲン製剤の製造承認を取り消したことに言及しています。したがって、遅くともこの書籍を執筆する段階では、血液製剤を扱う国の機関も、情報を入手していたことは確実です。

しかし、日本の医薬品行政では、このアメリカの情報は生かされず、フィブリノゲン製剤の有効性・危険性について調査検討されることはありませんでした。

日本でも、中央薬事審議会の再評価特別部会が、1971年12月から1978年10月にかけて、1967年9月以前に承認された医薬品について再評価を行っていました。ことに、1978年6月から7月にかけては、血液製剤の再評価についても審議されていました。フィブリノゲン製剤は、1964年に製造承認された医薬品ですので、本来であれば、この1978年の段階で再評価が行われるはずでした。

しかし、フィブリノゲン製剤については、1978年の段階では再評価されませんでした。その理由は、商品名の変更にありました。ミドリ十字は、1976年4月、フィブリノゲン製剤の商品名を「フィブリノーゲン-ミドリ」から「フィブリノゲン-ミドリ」に変更していました。この商品名の変更により、1964年に承認された医薬品であるのに、1976年に承認されたものとして処理されました。そのため、「1967年9月以前に承認された医薬品」には当たらないということになり、再評価されなかったのです。

つまり、ミドリ十字は、商品名を変更することで、再評価をすり抜け、国もそれを黙認していたということになります。

このような経緯で、日本では、アメリカのFDAの情報は生かされず、フィブリノゲン製剤の再評価が遅れました。実際に、フィブリノゲン製剤の再評価を行うことが決まったのは1984年6月、実質的な審議が始まったのは1985年1月、後天性疾患に対する適応はないという内示が出されたのは、1987年7月でした。


(東京弁護団・まつい)
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by kanen-relay | 2007-02-17 00:00 | 薬害肝炎ミニ講座
はじめまして。東京で裁判をやっている原告番号8番と申します。
僕はクリスマシンの投与によってC型肝炎に感染した原告です。

僕は現在21歳です。1985年(昭和60年)に生まれました。未熟児で生まれ、生まれてからすぐに大きな病院に搬送され、20日間ほど入院しました。入院時に点滴をしていたのですが、点滴針を指していた箇所から出血があったということで、クリスマシンを投与されました。

それから15年後、高校1年生の夏にC型肝炎に感染していることを知りました。新聞にクリスマシンの納入医療機関が載り、親がそれを見て僕を病院に連れて行き、感染が発覚しました。

生まれてから15年間、C型肝炎に感染していることなんてまったく知りませんでした。

感染を知り、何か人生の方向が変わったような気がしました。

C型肝炎はペグインターフェロンとリバビリンという強力な薬を使って治さなければなりません。そのために多額の治療費、時間、強い副作用という重荷を患者は背負わなければなりません。僕の場合は、幸いにも今すぐに治療しなければならないわけではありませんが、いつか治療しなければならない恐怖や不安はあります。

また、言われなき差別もあると言われています。理解ある人ばかりだといいのですが、そうでない人もいるのが現実です。差別が原因で、友人や恋人をなくしたり、希望先に就職できなかったりするかもしれません。

若いC型肝炎患者はきっとこういう悩みを持ち、将来どう生きていくか不安になっている人は多いのではないかと思います。特に、差別。こんな歳で大病して、家族以外誰にも言えない人はたくさんいると思います。僕は家族と、信頼できる友人にしか言っていません。特に誰でも、C型肝炎のことを話すのは難しいと思っています。

3月23日に東京地裁で判決がついに言い渡されます。
去年判決の出た大阪、福岡地裁ではフィブリノゲンを投与された一部の方が勝ち、大きく報道されました。しかし、クリスマシンに関して勝った原告は誰一人いません。そして、クリスマシンを投与された人の多くが新生児です。つまり、今の10~20歳代の患者です。この日にクリスマシンの原告が勝ち、若い患者に救済の光を当ててほしいと思います。

(東京原告8番)


d0081819_20551741.jpg写真=東京原告8番撮影

東京原告8番くんは、いま大学生です。音楽好きで、「写真の内容は、趣味で弾くギターとシンセです。といってもシンセはほとんど弾けませんが(苦笑)」だそうです。

8番くんが感染したクリスマシンという薬は、旧ミドリ十字が製造販売していた第IX因子製剤です。薬害エイズのときの、いわゆる「第4ルート」(非血友病患者に対する投与)でクリスマシンを使われ、HIVには感染しませんでしたが、C型肝炎に感染してしまいました。
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by kanen-relay | 2007-02-14 00:00 | 東京から
5.第IX因子製剤の有用性とは?
前回の記事では、第IX因子複合体製剤について、有効性・有用性がないということを裏付ける事実をいくつか紹介しました。
今回は、そもそも第IX因子複合体製剤の有用性がどのようにして判断されるべきかということについて説明したいと思います。

1月20日の記事で述べられているように、医薬品の有用性は、有効性と危険性のバランスで決まります。

まず、医薬品の有効性が認められるためには、比較臨床試験を経ていなければなりません。
しかし、第IX因子複合体製剤であるクリスマシンの製造承認申請(1976年)及びPPSB-ニチヤクの製造承認申請(1972年)時には、そもそも被告らの主張する後天性疾患についての臨床試験資料は一切添付されていませんでした。
つまり、資料が揃っておらず、有効性は確認されていなかったのです。
したがって、そもそも第IX因子複合体製剤は、有用性を検討する以前に、有効性の認められないものでした。

また、仮に有効性が認められるものであったとしても、第IX因子複合体製剤は、非常に危険性の高い製剤でした。
第IX因子複合体製剤の原料は、売血者から採血した血漿を集めたプール血漿でした。
当時から、売血による肝炎感染の危険性が高いことや、肝炎に感染すれば慢性肝炎・肝硬変へと進展することは知られていましたし、複数の人の売血をプールすれば、よりいっそうこれらの危険性が高まることも知られていました。

さらに、このように肝炎感染の危険性が非常に高い製剤であったにもかかわらず、旧ミドリ十字(クリスマシン)も日本製薬(PPSB-ニチヤク)も、ウイルス除去や不活化処理を全く行っていませんでした。
他方で、製薬企業が第IX因子複合体製剤による肝炎の発生の危険性について十分認識していたことを示す会議資料等も残っています。
このように、製薬企業は、第IX因子複合体製剤が肝炎の発生の危険性が極めて高い製剤であることを認識しつつ、何らの方策もとらずに放置し続けたのです。

なお、被告らは、医療現場では後天性疾患(乳児ビタミンK欠乏症・新生児出血症・肝疾患に伴う出血傾向等)について、第IX因子複合体製剤の必要性が高かったと主張しています。
そもそも、必要性があるか否かにかかわらず、後天性疾患に対する臨床試験資料が全くない製剤が製造承認・販売されてはならないことは言うまでもありません。
もっとも、被告らの主張する後天性疾患についての必要性もありませんでした。後天性疾患については、ビタミンKや新鮮凍結血漿の投与など、より有用性が高い治療法があったのです。
また、第IX因子複合体製剤の投与により、DICや血栓症を発症する危険性なども指摘されていたのです。

これらの事情を総合すると、有効性が確認されておらず、危険性も非常に高かった第IX因子複合体製剤の有用性は認められないと考えられます。
そして前回も述べたように、FDAや国内の再評価手続でも同じ結論が導かれているのです。

(東京弁護団・後藤)
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by kanen-relay | 2007-02-13 00:00 | 薬害肝炎ミニ講座
4.第IX因子製剤で重大な出来事は?!
第IX因子複合体製剤については、フィブリノゲンと同様に、有効性・有用性が争われています。
私たちは、後天性疾患(新生児出血症、ビタミンK欠乏症、肝疾患など)に対する第IX因子複合体製剤の有効性・有用性はないという主張をしていますが、1970年代から1980年代にかけて、これを裏付けるような出来事が起こっていました。いくつか紹介したいと思います。

1) 第IX因子複合体製剤による肝炎罹患例の報告の集積

アメリカでは、既に1970年頃から、第IX因子複合体製剤によって血清肝炎に感染したという報告が相次いでいました。
これらの報告の集積を受けて、1973年、国際血栓止血委員会が、ウイーンで「第IX因子濃縮製剤の臨床使用に関する特別委員会」を組織し、1974年には、その勧告の中で、いわゆる「後天性疾患」に対する有用性について、否定的な立場を明らかにしていました。


2) FDA(米国食品医薬品局)による後天性疾患に対する有用性の否定

このように、第IX因子複合体製剤による血清肝炎の危険性が強く指摘されていたので、1976年、FDAの生物製剤局は、血液及び血液製剤再評価委員会(パネル)を設置し、第IX因子複合体製剤の再評価を開始しました。

そして、FDAパネルは、1979年11月15日、FDA長官に宛てて、最終報告書と勧告を提出しました。その内容は、第IX因子複合体製剤には肝炎感染の危険性等があるので、その使用を先天性疾患などの限られた場合に限定すべきであるというものでした。また、製剤のラベルには肝炎と血栓症の危険性を明確に明記すべきことも重ねて勧告しました。
このFDAパネルの最終報告書の結論は、FDAによって受け入れられ、維持されています。


3) 国内における再評価手続における有効性の否定

第IX因子複合体製剤は、日本国内においても、1985年10月1日に再評価指定を受けています。再評価調査会は、1987年9月3日、「凝固因子(第II、VII、X)の欠乏に基づく出血」との効能・効果については、「十分評価できる臨床試験資料の報告は提出されておらず、凝固因子(第II、VII、X)に基づく出血についての有効性を確認することはできない」と結論づけました。つまり、新生児出血症や乳児ビタミンK欠乏症など、第IX因子のみならず第II、VII、X因子も同時に減少するような病態、すなわち後天性疾患については、第IX因子複合体製剤の有効性は認められないとされたのです。


4) 大阪地裁・福岡地裁での評価

上に述べたように、FDAや再評価手続をよく読むと、後天性疾患に対する有効性は否定されているのですが、第IX因子複合体製剤は、もともとは先天性疾患である血友病Bの治療薬として開発されたもので、現在に至るまで製造は取り消されていません(今は肝炎感染の危険性のない安全な製剤です)。
大阪地裁、福岡地裁においては、後天性についても先天性と状況は同じだと判断したのですが、私たちは、明確に有効性が否定されているものだと主張しており、上記の事情はそれを裏付けるものと考えています。

(東京弁護団・後藤)
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by kanen-relay | 2007-02-09 00:00 | 薬害肝炎ミニ講座