吉田さんの担当弁護士です。
吉田さんは、1986年にフィブリノゲン製剤の投与を受けてC型肝炎になり、2001年に肝癌が発見されました。この時の入院治療では、合併症で、一時、「あと1週間の命」とまで言われたのですが、何とか克服しました。2005年に、再発しましたが、この時も、入院治療で克服されています。しかし、今年の6月に、肝癌がまた再発しました。しかも、今までとは違って、複数の癌細胞が発見されました。この癌を克服するために、約1ヶ月入院して治療を受けました。しかし、9月にCT検査などで治療効果を確認し、その他の事情も考慮された上で、医師から、「癌に対する有効な治療方法がない」と宣告されました。
この知らせを吉田さんから聞いたときは、どう答えて良いのかわかりませんでした。できる限り、言葉を選んで、吉田さんと話させていただいたと思うのですが、どんなに言葉を頭の中で選んでも、これで大丈夫と自信を持てる言葉が思いつきませんでした。
そして、吉田さんの本人尋問を急ごうという事になり、証拠保全という手続を取ることになり、その準備の関係で、吉田さん、吉田さんの奥さんの話を聞き、主治医の先生にも吉田さんの病状を伺いに行きました。主治医の先生は、丁寧に対応してくださり、吉田さんの病状に対する理解が深まり増した。しかし、理解が深まると、より何とも表現できない呆然とした気持ちになりました。
12月6日、裁判所に提出する吉田さんの陳述書に、サインをもらうために吉田さんの自宅近くにまで行きました。この時は、サインをもらって、少し話して帰る予定でしたが、話しているうちに、自分の気持ちを伝えたいと吉田さんがおっしゃられました。先が長くない吉田さんの気持ちを大事にしたいと思いました。広く知ってもらうためには、実名公表するしかないと伝えました。吉田さんの気持ちは、「自分がフィブリノゲンで死ぬことが決まる一方で、和解協議に対する国や企業の姿勢が納得できない」というものでした。
翌7日、弁護団として、吉田さんの実名公表を11日に行うことを決めました。それまでに、吉田さんからは、自分の余命を一人で考えていると、少しずつ暗闇に落ちていく気がする聞いていました。吉田さんには、「一晩、奥さんと話しながらで良いですから、どんなことを話したいかを、具体的に考えてもらえますか。」と御願いしました。
8~10日は、毎日、吉田さんのお宅に伺って、何時間も話を聞き、そして話しました。私が帰った後は、吉田さん夫婦で、話し合ってもらいました。方針は、質疑応答は別として、「5分間で気持ちを伝えよう!」でした。5分以上になれば、話がぼやけてしまう危険があると思ったからです。また、「吉田さんの言葉で話そう!」ということにしました。他人の文章では、人に訴えられないと思ったからです。
吉田さん自身の納得できないという気持ちは、確かなものでした。しかし、「感じたことをうまく表現できない、年だし、表現できたと思った言葉もすぐ忘れてしまう、最近は字を書くのもつらい」ということでした。余命の話になると、話が自然とそれてしまい、そこに話を引き戻すと、吉田さんは言葉よりも涙がうっすらうかび、私も涙ぐんでしまう状態でした。
私は、死を宣告された気持ちを、うまく表現できる言葉なんてないと思い、すぐに原稿・文章を作ろうとせずに、とにかく、吉田さんと二人で、時に奥さんにも入ってもらって、吉田さんの気持ちや肝炎問題について、話し合うことにしました。そして、その中で出てきた言葉を、繋いで文章にするイメージでした。
ともかく、その頃までに私が感じた吉田さんの気持ちを、私のつたない言葉に直せば「国や企業は、他人の手で、あなたたちの手で、命を短くさせられた者の気持ちを想像する気持ちがないのではないか。本来、国・役人は、国民の命を守るためにある。命を守るという気持ちがないのなら、いらない。」といった感じではないかと思います。
10日は、吉田さんが話し、私がパソコンをうち、気持ちが煮詰まると、テレビをつけたり、書いたところまで声を出して読んでみると言ったことを、繰り返しやっていました。やはり、削られた自分の命のことを直視したり、言葉に代える作業は、見ていても辛そうでした。その日も、前日も、精神的に疲れて、昼まで寝ていたとおっしゃっていました。それはそうだろうと思いました。しかし、吉田さんは、辛抱強く、自分を表現しようとしていました。記者会見をする以上は、気持ちをできるだけ伝えたいという気持ちだったのでしょう。
作業の途中で付けたテレビで、薬害肝炎問題の討論をやっていました。ある議員の発言は、吉田さん、奥さんの怒りに火を付けていました。ひとしきり、その議員の悪口をみんなで言って、吉田さんがトイレに立たれた時、奥さんは、「人生は冬の時期があってもいずれ春が来るが、主人にはもう春は来ない。」と言われていました。
ともかく、そういう作業を経て、5分間のメモを作成しました。そのメモを、事務所で印刷して吉田さんにFAXしました。記者会見の30分前に待ち合わせ場所に来られた吉田さんは、字を書くのも辛いと言っていたのに、そのFAXに、手書きで、より自分の気持ちに合う言葉を書いたものを持参されていました。吉田さんが伝えたいことが、少しでも実感を持って伝わるようにしなければと、さらに決意しました。
11日16時、記者会見に臨みました。吉田さんは、目に涙を浮かべることもあり、立て板に水といった話し方でもありませんでしたが、約1時間、気丈に自分の気持ちを語り、質問にも答えられていました。
以下が、記者会見を経て、記事にしていただいた吉田さんの言葉の抜粋です(アイウエオ順)。
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