アメリカの「血液及び血液製剤の再評価パネル」は、1975年から、フィブリノゲン製剤をはじめとする血液製剤について再評価
(*)を始めました。
(*) 「再評価」とは、医薬品が製造承認され販売されるようになった後に、医薬品の有効性・危険性・有用性について、新たな判明した医学・薬学情報も含めて改めて再検討することです。
そして、再評価パネルは、複数回の会議を行い、フィブリノゲン製剤の有効性・危険性について検討した結果、1977年1月に
「肝炎感染の高度な潜在的危険性に加え、フィブリノゲン製剤が必要とされるかもしれないごくまれな場合に対しては、より安全な代替療法、すなわちクリオプレシピテート又は単一供血者由来の血漿が利用可能であることを考慮して」
フィブリノゲン製剤は回収されるべきであると、勧告しました。
この再評価パネルの勧告を受けて、アメリカの
FDA(Food and Drug Administration=食品医薬品局)は、1977年12月7日、フィブリノゲン製剤の製造承認を取り消しました。この製造承認取消については、
1978年1月6日付Federal Register (米国連邦広報)Vol.43,No4で公表されています。その内容は、以下のとおりです。
「この措置は、フィブリノゲン(ヒト)製剤の有効性に疑問が持たれること及び肝炎感染リスクのより低い他の製剤によって代替し得ることから、製造承認を受けた製造業者らの要請に応じてとられたものである。」
「フィブリノゲン製剤の投与の適応がある患者ではほとんどの場合、多種の異常が存在しているので、フィブリノゲン製剤の単独投与のみでは正常な血液凝固は得られない。このようなことから、フィブリノゲン(ヒト)製剤の臨床効果を評価することは困難であり、その使用が有効とされる適応症はほとんどない。」
「フィブリノゲン(ヒト)製剤は、多数の供血者のプール血漿から製造されている。フィブリノゲン(ヒト)製剤において、B型肝炎ウイルスを不活化させるための加熱処理は、製剤の効力に望ましくない影響を与えるであろう。このような理由から、フィブリノゲン(ヒト)製剤の投与は、単一単位の血漿に由来する製品よりもB型肝炎のリスクが高い。
主治医によりフィブリノゲンの補充療法が必要であるとみなされるようなごくわずかの臨床例においては、単一単位の血漿から調整したクリオプレシピテート抗血友病因子(ヒト)やその他の製剤をフィブリノゲンの供給源として用いることができる。これにより、肝炎リスクが低下することになる。」
つまり、フィブリノゲン製剤の有効性には疑問があること、肝炎感染の危険性が高いこと、肝炎感染の危険性の低い他の代替製剤があることから、製造承認を取り消しました。
旧ミドリ十字は、
1978年1月末には、このFederal Registerの記事を入手しており、社内で回覧していました。
また、国立予防衛生研究所の血液製剤部長であった安田純一(故人)も、1979年出版の「
血液製剤」という書籍の中で、アメリカのFDAがフィブリノゲン製剤の製造承認を取り消したことに言及しています。したがって、遅くともこの書籍を執筆する段階では、血液製剤を扱う国の機関も、情報を入手していたことは確実です。
しかし、日本の医薬品行政では、このアメリカの情報は生かされず、フィブリノゲン製剤の有効性・危険性について調査検討されることはありませんでした。
日本でも、中央薬事審議会の再評価特別部会が、1971年12月から
1978年10月にかけて、
1967年9月以前に承認された医薬品について再評価を行っていました。ことに、1978年6月から7月にかけては、血液製剤の再評価についても審議されていました。フィブリノゲン製剤は、
1964年に製造承認された医薬品ですので、本来であれば、この1978年の段階で再評価が行われるはずでした。
しかし、フィブリノゲン製剤については、1978年の段階では再評価されませんでした。その理由は、商品名の変更にありました。ミドリ十字は、
1976年4月、フィブリノゲン製剤の商品名を「フィブリ
ノーゲン-ミドリ」から「フィブリ
ノゲン-ミドリ」に変更していました。この商品名の変更により、
1964年に承認された医薬品であるのに、
1976年に承認されたものとして処理されました。そのため、「
1967年9月以前に承認された医薬品」には当たらないということになり、再評価されなかったのです。
つまり、ミドリ十字は、商品名を変更することで、再評価をすり抜け、国もそれを黙認していたということになります。
このような経緯で、日本では、アメリカのFDAの情報は生かされず、フィブリノゲン製剤の再評価が遅れました。実際に、フィブリノゲン製剤の再評価を行うことが決まったのは1984年6月、実質的な審議が始まったのは1985年1月、後天性疾患に対する適応はないという内示が出されたのは、1987年7月でした。
(東京弁護団・まつい)